大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和62年(ラ)82号 決定

抗告人

静岡県

右代表者知事

斉藤滋与史

右代理人弁護士

高山幸夫

平井廣吉

相手方

小長井良浩

右代理人弁護士

前田知克

葉山岳夫

有賀信男ほか三十二名

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は別紙のとおりである。

そこで、一件記録に基づき検討するに、当裁判所も、相手方の本件文書提出命令申立ては正当として認容すべきものと判断する。その理由は、原判決七枚目表九行目の末尾に「本件の場合、保管者の裁量権を考慮しても、本件供述調書が刑事訴訟法第四七条但書の適用外の文書であるとの判断が、具体的事由に基づく合理的なものと認めるに足りる資料はみいだすことができない。」を加え、同八枚目表一行目の「であり、これを」を「であるだけでなく、三岡司法書士の証人尋問をもつてこれに代替することは事実上不可能であり、もし本件供述調書を」に改めるほか、原決定の理由説示と同一であるから、これを引用する。

よつて、本件抗告は失当としてこれを棄却することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官村岡二郎 裁判官佐藤繁 裁判官鈴木敏之)

別紙 抗告の趣旨

原決定を取消す

被抗告人の申立を却下する

本件文書提出命令申立費用及び抗告費用は被抗告人の負担とする

右旨の裁判を求める。

抗告理由

第一 本件文書は、民事訴訟法三一二条一項一号の「引用シタル文書」に該当しない。

一 原決定は、「被告らは、本件供述調書の存在及び内容につき詳細に言及し」、「右言及が本件訴訟を被告らに有利に展開するためになされたことは明らかであつて、被告らは本件訴訟において本件供述調書を引用したものというべきである」旨認定する。

二 なるほど、原決定で指摘するとおり、被告は、昭和六一年四月九日付準備書面において、本件供述調書の存在を認め、昭和六一年五月二四日付準備書面(二)において、本件文書の内容の要旨を明らかにした。しかし、本件文書の内容の要旨が被告の準備書面で明らかにされるに至つた経過を見れば、被告は、昭和六一年二月一日付答弁書で、原告の訴えに対する認否に際し、本件文書の存在を認めたのみであつたところ、原告は、昭和六一年二月二七日付で被告の答弁に対する釈明を求め、その中で、原告は、本件文書について、「内容は如何なるものか明示されたい。」として本件文書の内容を明らかにすることを求めた。被告は、この求釈明には特に答弁することをせず、被告の昭和六一年四月九日付準備書面でも、本件文書が存在することを認めたうえで、単にその内容は漠然としたものであつた旨を明示したにとどめたものである。

三 しかし、右被告の準備書面に対し、原告は、昭和六一年四月一七日付で重ねて釈明を求め、本件文書について執ようにその内容を明らかにすることを求めてきたものである。

このように、再三にわたる本件文書の内容の明示要求が原告からなされたことから、被告としても、原告のこの要求に応じることが、本件訴訟の適正、迅速な進行の必要性に添うものと判断し、被告は、昭和六一年五月二四日付準備書面で、その内容の要旨を明示するに至つたものである。

すなわち、被告が本件文書の内容を明らかにしたのは、右理由からで、原決定が言う本件訴訟を自己に有利に展開させるため、その存在及び内容に言及したものではない。

四 原決定は、被告の本件文書の存在及び内容に言及したことについて、「その記載内容は、原告主張の如きものでなく、漠然としているうえ、記憶違いに基づく疑いもあるとし、原告にかかる業務上横領被疑事件の捜査資料の中にあつて、証明力及び信用性とも低いものであることを強調して……、被告らの主張を支える重要な根拠としている」と認定しているが、それは誤りである。

なぜなら、原決定が被告の主張として引用している「その記載内容は、原告主張のごときものではなく、」とする根拠は、被告の昭和六一年二月一日付準備書面第二の二の2の記述を理由としているものと思料するが、ここで、被告が「その内容が原告の主張と異なる」とした理由は、原告訴状の第二の一の(2)の三岡司法書士の供述調書に言及した部分の、「原告女子事務職員が」「午後三時過」との記載が本件文書の内容と相違したことから、被告としては、その内容が、原告の主張とは全く同一ではない旨を明確にする意図で、右記述にでたものである。

また、原決定が(本件供述調書の記載内容は)「漠然としているうえ、記憶違いに基づく疑いもある」とする根拠は、被告の、昭和六一年四月九日付準備書面第一の二の(七)の記述に基づくものと思料するが、この被告の主張は、三岡司法書士より改めて事情を聴取するに至つた経緯を説明しているにすぎないものである。よつて、原決定が指摘するように、右被告の準備書面での主張は、証明力及び信用性とも低いものであることを強調するがためになされたものでなく、被告の主張を支える重要な根拠としているものでもない。

五 そもそも、被告は、昭和六一年五月二四日付準備書面で、原告の主張に対応する本件文書の内容を開示しており、その内容は、原告が本件文書に記載されていると主張する内容と、趣旨においては、おおむね一致しているものであるから、原告と被告との間には、大筋において本件文書の記載内容についての争いはなく、よつて、被告は、自己の主張を有利に展開する意図も必要性もないのである。

右のとおり、被告の本件文書の内容についての言及は、民事訴訟法三一二条一項一号の「引用シタル」に該当しない。

第二 本件文書は、刑事訴訟法四七条に該当する文書であり、被告において守秘する必要がある文書である。

一 民事訴訟法三一二条の文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には、証人義務、証言義務と同一の性格のものであると解されるものであるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号の規定が類推適用されると解すべきである。したがつて、文書所持者に法定の守秘義務があるときは、該所持者はその限度で文書の提出義務を負わないと解せられる。

二 本件文書は、原告にかかる業務上横領被疑事件に関し作成された参考人供述調書であり、右刑事事件は、静岡地方検察庁において不起訴処分とされているのであるから、本件文書は、刑事訴訟法四七条本文にいう「訴訟に関する書類」に該当するものであつて、同条の規定によれば、公判の開廷前における関係書類の公開の禁止を保管者に義務付けている。したがつて、この場合、右書類の内容は、法律上当然に秘密に属するものである。(大阪地方裁判所昭和五八年(モ)第7923号事件 昭和六〇年一月一四日第三民事部決定、判例タイムズ五五二号200ページ参照)

三 このことについて、原決定は、「本件訴訟を自己に有利に展開するため、本件供述調書の内容を詳細に引用しているうえ、三岡賢吉司法書士の昭和五七年一一月五日付及び同月七日付各供述調書を含む多数の捜査資料を提出して書証の申し出をし、さらには、証人三岡賢吉の尋問を請求して、本件供述調書にも言及することを予定しているのであるから、原告にかかる業務上横領被疑事件については、既に捜査の密行性、秘密保持の必要性は、実質的に失われており、かかる状況のもとで、証拠調べのため本件供述調書を当裁判所に提出することは……刑事訴訟法四七条但書にいう『公益上の必要その他の事由があつて、相当と認められる場合』に該当するというべきである。」と説示している。

ところで、刑事訴訟法四七条但書の規定に基づく右公開するか否かの相当性の判断は、被疑者その他捜査協力者及び刑事訴訟関係人らの名誉、プライバシーを保護し、さらには、刑事手続における捜査の密行性を確保しようとする同条の立法趣旨に照らせば、書類の内容を把握している当の保管者に委ねられていると解すべきである。

なお、右三に記載の捜査資料を被告が証拠として提出したことは事実であるが、これについては、原告の強い要求と原裁判所の示唆により、被告は、裁判所に対する協力その他公益上の必要性と比較衡量した結果、検察庁に送付したものに限定して、やむなく提出し、証拠調べを求めたものであつて、その理由の詳細については追つて補充申立書を提出予定である。

四 当該書類の公開により訴訟関係人らの名誉やプライバシーを害することになるか否かは、その文書の保管者でなければ的確に判断しがたいものである。このことについても、原決定は、「仮に刑事事件記録を公にするか否かの判断が、相手方主張の如く、刑事手続の公正な運用という観点から、第一次的には、当該記録の保管者の裁量に委ねられているとしても、それには、適正迅速な民事裁判の実現等それ以外の公益上の必要にも十分配慮した、合理的なものでなければならず」としているが、本件文書は、被告の昭和六一年五月二四日付準備書面(二)で明かにした内容の他は、供述者等訴訟関係人の名誉、プライバシーの保護並びに捜査の密行性の確保等の公益上の必要から、いまだ保管者である被告において職務上の秘密に属し、守秘する必要がある部分を含んでいると判断しているものである。

五 仮に、本件文書の保管者である被告が、前示守秘すべき内容の判断を誤り、または、本件文書を公開しないことが、公益上の必要にも十分配意した合理的なものでないと認定されるとしても、民事訴訟法二八三条が、公務上の秘密については、証言拒絶の当否を裁判所に判断させないこととした趣旨を推及すれば、本件文書の提出義務を負わせることはなお許されないものである。(右大阪地方裁判所の決定参照)

よつて、本件文書を公開することは、刑事訴訟法四七条によつて許容されない。

第三 本件文書の存在及び内容について、被告と原告との間には主張上実質的な差異はなく、また、本件文書の供述者及び取調べ担当者を証人尋問することにより、本件文書の内容が明確にされるのであるから、提出の必要性及び相当性はない。

一 原決定は、まず、「本件供述調書の記載内容及び証拠価値につき、当事者間に実質的な争いがあることは明白であり」と認定している。

(一)ところで、本件文書提出命令申立書にかかる証すべき事実は、「右供述調書に、三岡司法書士が、昭和五二年一二月一三日午後、同司法書士事務所において原告事務所女子事務員から金員を受領し、根抵当権設定登記等の抹消登記手続に従事した事実について記載されていること。」としているが、被告の昭和六一年五月二四日付準備書面(二)第一の四には、「訴外三岡賢吉の昭和五七年九月七日の供述の要旨は」として、右証すべき事実と同一趣旨の供述内容が記載されていることを明示しているのであるから、本件文書の内容については、前記第一の三で述べたように、大筋において当事者間に争いはない。

(二)証拠価値についても、被告は、原告の主張する内容の本件文書が存することを前提としたうえで、他の資料と総合的に判断して原告の横領容疑を認定しているのに対し、原告は本件文書のみを過大に評価しているものであり、これは、原告の独自の見解というべきであつて、証拠価値の判断に差異があるからとして、本件文書を提出する理由にはならない。

二 つぎに、原決定は、本件文書を「書証として取調べることなく、直ちに三岡司法書士の証人尋問に入れば、尋問が古く、かつ、微妙な事項にわたるため、無用の混乱が生ずるおそれがないとはいえない」と認定しているが、前述のとおり、本件文書の内容については、当事者間に大きな争いはないのであり、かつ、原決定でいう三岡司法書士の何回かにわたる供述内容、その相互間の異同、その際における同人の記憶、供述を変更した理由等の微妙な事項についても、被告は、昭和六一年一〇月二四日付で三岡司法書士の昭和五七年一一月五日付及び同月七日付の各供述調書を書証として提出しているのであるから、その供述内容を精査することにより、右微妙な事項が明らかになるのであり、さらに、それに加え、三岡司法書士の証人尋問をすることにより、その微妙にわたる内容をより詳細にすることができるのである。

三 なお、原決定は、本件書類が提出されない場合、三岡賢吉司法書士に対する尋問の際、無用の混乱が生ずる旨説示しているが、仮に本件書類が提出されたからといつて、尋問(特に原告の反対尋問)が短時間に終わるということは必ずしも断定することができず、また、不提出の場合尋問時間が若干長引くことがあるとしても、被告が右に述べた事情からみるならば、やむを得ないことであつて、その故に提出義務を無から有に転換するものとは考えられない。

四 よつて、本件文書について、その提出を命ずる必要性も相当性もない。

第四 右抗告理由のほかに追つて補充意見書を提出する予定である。

即時抗告申立補充書

一 被告が、捜査資料の一部を提出した経緯について

(一) 原告にかかる業務上横領被疑事件の捜査記録の提出については、本件訴訟の第二回口頭弁論期日(昭和六一年二月二七日)において、原告から裁判所に対し、刑事事件の送付記録(写)を証拠として提出するよう勧告を求め、被告(抗告人)がこれを拒否したところ、裁判所からその後の口頭弁論期日において、右文書の提出をしようようする旨の強い指導的発言があつた。

また、第六回口頭弁論期日(昭和六一年七月三一日)においても、裁判所の「適正迅速な民事裁判の実現の必要性から捜査記録を提出するように」との強い示唆があつた。

(二)そこで、被告は、右のような事情を考慮し、本件刑事事件記録を保管している静岡地方検察庁に提出の可否について照会したところ、同検察庁からは、「本件捜査記録は、刑事訴訟法第四七条の書類に該当するものであるから、文書送付嘱託があつてもこれには応じられない。」旨の回答を受けた。

被告は、右検察庁の趣旨を相当と認めたものの、適正迅速な民事裁判の実現等公益上の必要に配慮するためという前記の裁判所の強い要請を尊重すべきであると判断し、たまたま送付記録の写が被告側に存在したことから、捜査記録のうち刑事訴訟法第四七条但書にいう「公益上の必要その他の事由のあるとき」と、同条本文の捜査の密行性を担保するための「公開禁止規定」との双方の保護する利益の調整を考慮し、被告において「提出やむなしと判断したもの」を、乙号証(乙第二号証〜同第四五号証)として、特段の配慮をもつて提出したものである。

二 捜査記録の守秘の必要性について

(一) 犯罪捜査は、被疑者の発見と証拠の収集を図ることを目的とするものであつて、警察官は捜査の過程において、いかなる証拠があるかについて検討し、その蓄積の中から証拠の取捨選択をして被疑事実を立証するに足りる証拠(物証人証を含む。)を検察庁へ送致(付)するものである。

(二) 原告に係る業務上横領被疑事件については、検察庁へ送付された調書の他に未送付書類なる本件調書が存在することは事実であるが、送付された調書は、被疑事実を立証するものとして選択し送付したものであつて、送付していない本件調書は、立証上必要のないものと判断したものである。

ところで、刑事訴訟法第四七条は、将来、公判において公開されることのある書類であつても、公判前にこれを公にすることを原則として禁じているのであるから、立証上その必要のないものと判断して送付しなかつた本件調書のごときものは、特に、これを公にすることが許されないものと解するのが相当である。

なぜなら、刑事訴訟法第四七条の立法趣旨が、刑事裁判開始前に、裁判に対し外部から不当な圧力が加えられること及び公序良俗を害することを防止するとともに、関係者の名誉・プライバシーを保護することにあるという観点から規定されたものであること(最高裁昭和二八年七月一八日判決)にかんがみれば明らかである。

(三) 本件調書は、立証の資料に供する必要のないものとして、送付せずに警察の手元にたまたま残存していたにすぎない性質のものであるが、その理由をもつて、本件訴訟の主張の立証に供し得るものとして提出を求め、それに応じて提出が許されるというものであるとすれば、捜査中のメモ、手控等の秘密資料までも提出し、公開せざるを得ない結果となるおそれがある。

こうしたことは、不必要に個人の名誉・プライバシー等を警察が公開することになつて、警察活動に課せられた守秘義務に違反することになりかねないものである。

それ故、本件調書は、刑事訴訟法第四七条本文の非公開文書に該当するものであるばかりでなく、同条但書の適用外の文書というべきものであつて、絶対に秘匿されなければならず、公開すべからざる犯罪捜査上の資料と言わざるを得ない。

(四) 以上の次第であつて、「公益上の必要その他の事由があつて、相当と認められる場合」に該当するとの原決定は、法の趣旨を逸脱する違法な判断であると言わざるを得ない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例